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富士山の豊かな自然や美しい姿は、昔から文学・芸術・信仰の対象となり“日本文化のシンボル”として親しまれ、「文化的景観」を作り出してきた。そして平成19年、富士山は世界文化遺産暫定リストに登載。現在、静岡県内25の文化財等が登録資産候補に名を連ねている。
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溶岩関係│湧水│自然崇拝│浅間信仰│修験道関連│富士講│展望地
溶岩関係
万野風穴(富士宮市) <国指定天然記念物>
新富士火山旧期の万野溶岩流内にできた総延長908.3mの溶岩洞窟。入口には江戸富士講の一派、東講の人々がたてた大日如来像があることから「大日穴」とも呼ばれる。現在は崩落の危険があり、入洞禁止。

駒門風穴(御殿場市)<国指定天然記念物>
約1万年前に流出した三島溶岩流が流れて固まる時に、固まるのが遅い中心部の溶岩が流れ出してできた空洞。開口部は1ヶ所。本穴は全長291m、枝穴は本穴分岐点から110mあり、肋骨状溶岩や溶岩鍾乳石が見られる。また、風穴内からは室町中期の青銅鏡が出土している。

印野の熔岩隧道(御殿場市)<国指定天然記念物>
側火口から流出した溶岩が固まる時に、固まるのが遅い中心部の溶岩が流れ出してできたもの。開口部が2ヶ所ありトンネルになっている。全長は155m、内部は高さ0.5m~2mほど。トンネルの形状を人間の体内に見立て「御胎内」と呼ばれている。肋骨状溶岩や溶岩鍾乳石、富士講信者が奉納した石造物が見られ、かつては修験道の行場だった。

湧水
白糸の滝(富士宮市)<国指定名勝及び天然記念物>
高さ約20m・幅約200mにわたって溶岩のすき間から、富士山の伏流水が大小数百の白糸のように湧き出している。富士講の祖、長谷川角行が人穴から通って修行した地とされ、富士講の人々が立ち寄った場所。周辺には富士講社がたてた記念碑や道標がある。

湧玉池(富士宮市)<国指定特別天然記念物>
溶岩のすき間に蓄えられた富士山の伏流水が、富士山本宮浅間大社の境内に湧き出したもの。富士山の登山者(道者)はここで身を浄め、山中に向かった。

楽寿園(小浜池)(三島市)<国指定名勝及び天然記念物>
小浜池は三島市立公園「楽寿園」内の湧水池。楽寿園は明治維新で活躍された小松宮彰仁親王が、この地を気に入られて築いた別邸跡。富士山の湧水と自然林を生かした庭園は、国の天然記念物及び名勝に指定され、桜、菊、紅葉、など1年を通して自然散策が楽しめる。

柿田川(清水町)
清水町のほぼ中心部を南北に流れる延長1.2kmの狩野川の支川で日本最短の一級河川。富士山の東斜面で降った雨水や雪解け水が地面にしみこみ、地下水となって湧き出たもので、湧水を水源とする全国でも珍しい川。富士山全体の地下水の量は、1日当たり約450万トンともいわれており、その約2割に相当する1日約100万トンの水が柿田川に湧き出している。

鮎壺の滝(沼津市・長泉町)<県指定天然記念物>
別名「藍壺の滝」。新富士火山の三島溶岩流末端に形成された滝。溶岩の断面や富士山の溶岩の特徴、溶岩樹形が観察できる。

五竜の滝(裾野市)<県指定天然記念物>
雄滝と雌滝の間に、約1万年前の新富士火山三島溶岩流の断面を見ることができる。幅約100m、高さ約12mの間に、溶岩層が幾重にも重なっており、溶岩層から湧水を観察することができる。それぞれ雪解・富士見・月見・銚子・狭衣と名付けられている。

自然崇拝
千居遺跡(富士宮市)<国指定史跡>
縄文時代中期後半の住居跡群と大規模な配石遺構群が特徴的な遺跡。帯状列石を中心にいろいろな形態が組み合わされた配石遺構群は、規模・形態ともに全国有数のもの。富士山を対象とした信仰の遺跡ではないかとの指摘もある。

大鹿窪遺跡(富士宮市)
複数の住居跡が集落を成す遺跡としては、日本国内で最も古い縄文草創期(約1万3千年~1万1千年前)のものと考えられている。
堅穴住居跡が溶岩流に向き合うように馬跡形に並んでおり、その開口部には溶岩を同心円状に積んだ配石遺構があり、さらにその延長線上に富士山を仰ぎ見ることができる。
浅間信仰
富士山本宮浅間大社(境内地)(富士宮市)
大同元年(806)、坂上田村麻呂が山宮の地から現在地(富士山本宮浅間大社)に移したと伝わる。社殿は、徳川家康が慶長9年(1604)に造営に着手し、慶長11年(1606)に完成したといわれる。檜皮葺。桁行五間、梁間四間の下層の上に三間社流造の社殿が載る重層の本殿で、他に類を見ない特徴的な社殿形式を採ることから「浅間造」と呼ばれている。「浅間造」の名称で呼ばれる建物は他になく、唯一の遺構である。

山宮浅間神社(富士宮市)<富士宮市記念物(史跡)>
里宮である富士山本宮浅間大社の山宮。浅間大社伝に「垂に天皇の御宇に至り山足の地に浅間大神を鎮祭して山霊を慰められた。其の後大同元年、征夷大将軍坂上田村麻呂勅を奉じて、山宮の地より今の大宮へ移し奉った。」とある。火を噴く富士山の不思議な力に畏怖した古代の人々が、直接富士山を拝んだ場所と考えられている。あるべきはずの所に本殿はなく、古代からの富士山祭祀の形を止めているとされる。創建年代不詳。

山頂信仰遺跡<特別名勝指定地内>
かつて富士山頂は八葉九尊の仏の世界として信仰され、八つの峰には地蔵・阿弥陀・観音・釈迦・弥勒・薬師・文殊・宝生如来が、中央の内院(噴火口)には大日如来が祀られていた。明治初年にそれら仏教名は廃止され、現在の地名に変更。しかし、現在でも山頂を「お鉢」と呼び、信仰に関連する施設や地名が多く残されている。

富士山本宮奥宮(富士山頂)<特別名勝指定地内>
富士宮口登山道を登りつめた所にある。明治7年に大日如来を祀った大日堂を取り除き、浅間大神を鎮祭するために建立された。富士山をご神体とするため本殿はなく、拝殿・幣殿があるのみ。

修験道関連
村山浅間神社(富士宮市)
江戸時代は興法寺と称し、富士山修験道の拠点として栄えた。境内には大日堂をはじめ、水垢離場や護摩壇等が残る。近年行われた境内発掘調査では、10世紀前半の竪穴住居跡や大棟梁権現社跡が発見されている。

村山浅間神社境内水垢離場(富士宮市)
富士山に入山する道者が、村山の法印大先達の指導により「竜頭ヶ池」の聖水を引いた人工の滝に打たれて身を清め、不動明王の守護を願い、山中の安全を祈願した場所。

大宮・村山口登山道(富士宮市・富士市)<一部特別名勝指定地内>
大宮を起点に村山を経て山頂へ向う登山道で、明治39年に新大宮口登山道ができるまで使われていた。村山に至る道沿いには「右富士山」と刻まれた道標が2カ所、賽の河原には富士登山満行供養塔がある。現在、村山から続く登山道跡を線として辿ることは出来ないが、中宮八幡堂跡や御室大日堂跡など、数カ所の建物跡が確認されている。

富士講
人穴富士講遺跡(富士宮市)<富士宮市指定史跡>
人穴は江戸富士講の祖、長谷川角行が修行した洞窟で、江戸富士講の人々の聖地(西の浄土)として信仰を集めた。

人穴浅間神社(富士宮市)<富士宮市指定史跡指定地内>
富士宮市指定史跡「人穴富士講遺跡」にある浅間神社。社殿は洞穴入口にあり、その周辺には富士講関係者の記念碑・供養碑など約230基の碑塔群がある。また、富士山に何回も登ったという登拝記念の碑塔や角行二百年忌の宝篋印塔なども残っている。

須山浅間神社(裾野市)
全国に1300社以上ある浅間神社の一つで、南口登山道の浅間の下宮として祭られた。宝永4年、富士山の大噴火により一時登山道が途絶えたが70年後に復活。江戸時代は、吉田口に次いで多くの登山者数を誇ったという。

冨士浅間神社(小山町)<小山町指定有形文化財>
延暦21年(802)の富士山噴火の際、鎮火を祈願するために須走の地に斎場を設け祭事を行ったとされる。大同2年(807)、その地に鎮火御礼の社殿を造営。その後、宝永4年(1707 年)の噴火で社殿は崩壊し、享保3年(1718)に再建され現在に至る。本殿・幣殿・拝殿が一体化した社殿が特徴。

須走口登山道(小山町)<一部国指定特別名勝指定地内>
足柄峠越えの登山者や下山道として利用された。宝永噴火の後、幕府により復旧。大正5年(1916)に山頂まで改修され、馬上による登山が可能となった。

展望地
三保の松原(静岡市)<国指定名勝>
「羽衣の松」付近の波打ち際から松原越しに見る富士山は絶景。富士の名所としての記載は、古く万葉集に見られる。文学では羽衣伝説をもとにした謡曲「羽衣」、絵画では雪舟をはじめ多くの作品に登場している。白砂青松の風景に浮かぶ富士の雄姿は、日本の聖なる美しき原風景そのもの。

日本平(静岡市)<国指定名勝>
日本平から望む富士山の美しさは、江戸時代末の安政年間(19世紀半ば)までに書かれたといわれる「するが土産」(日本平の呼称初出)という絵図に記されている。そこには「(前略)照久寺澤谷より有度山に登り、峰平日本平に至り、時雨霜山、府中遠江七十灘 海上東方清水湊 三保ヶ崎 伊豆の山々 富士山 二月十七日於日本平寫」とあり、日本平からの眺望のすばらしさに注目している。当時の山頂部は、草薙神社領であったようである。







